| 第1日目 8月31日9月1日に開催された「極真ワールドカップ」に出席するため、8月27日(金)、ブラジルは、サンパウロに向けて笠岡を出発した。 大会前2泊3日は、赤道直下当たりに位置するアマゾンに行くことにし、午後1時に家を出て名古屋空港を午後7時、ロサンゼルスに向けて飛び立った。フライト時間は、12時間。テロリストがあった関係で、ロサンゼルス空港で厳重チェックを受けた。飛行機の燃料補給などのため2時間を待合室で過ごし、サンパウロに向けて飛行機は飛び立った。フライト時間は、またも12時間。飛行機の中では、それぞれ2度、計4度同じような食事をした。飲み物は、すべて無料であった。食事は、ちょっと飽いた。 サンパウロに着いたのは、28日の朝の8時。日本は、28日の夜の8時。時差は、ちょうど12時間。名古屋空港を出て25時間経っているが、暦の上では、13時間しか経っていない。日本にいるならこれからビールを飲みながらテレビを見て寝る時間帯だ。しかし、目の前には、旭が昇り、心地よい朝である。サンパウロから午前10時30分発のマナウス行きの飛行機に乗った。フライト時間は3時間30分。マナウスは、ブラジルの北部に位置し、今、冬が終わり春が近づていた。冬といえど気温は、35度。人口は、統計上は、170万人。実質は、270万人を越えていると言われる。100万人は、インディアンなど登録されていない人々が住んでいると言うこと。電気などは、電線から勝手に引っ張って使用しているとのこと。(ガイドさんの話) マナウスから船で2時間、やっと目的地のアマゾンに到着した。到着時間は、現地で午後5時。(サンパウロより1時間の時差がある。同じ国の中で時差がある。)笠岡を出発して現地アマゾンに到着するまでの所要時間42時間。この苦痛を癒してくれるのは、ホテルと豪華な食事だけと思い船を下りてホテルに向かった。 ジャングルに入り左手にヤシの葉で作った屋根の小さな家を見ながらフロントでチェックインした。そして、部屋へ案内された。来た道を戻り、また、ジャングルの中に。「まさか?」である。そのまさかであった。先ほど見たヤシの葉で作った小さな家が我々が2泊3日生活する家であった。ここはジャングルである。電気がない。故に蛍光灯もテレビもクーラーも何もない。あるのは、トイレと洗面所とベット、それと一本のロウソク。夜の明かりは、ロウソクの明かりだけが頼り。だが、ローソクをつけっぱなしで寝ると朝方トイレに行く時にはなくなっているので消すことにした。窓の外は、星が数万も輝いていた。が、星の輝きを「綺麗だなあ。」って、観賞に浸っている余裕はない。ここは、ジャングルである。ただ一人ベットに横たわっているだけである。 午後9時、ガイドが呼びに来た。「ワニ狩り」に行くと言うことである。湿地帯に入りワニ狩りをした。想像以上に小さいワニだったので助かった。 次の日、午前中は、「ジャングル探検」。現地の人の案内でジャングルに入っていった。ガイドさんが言われるには、ジャングルは、よほど慣れていないと迷子になると。 ジャングルには、けがを治す薬草から病気を治す薬草が数十種あるという。逆に、大きな獣を殺すことの出来る毒草もあるという。我々は、両方を手に取ったが区別など到底出来なかった。 午後からは、「ピラニア釣り」をした。小さなカヌーに4人乗り、ポイントを探しながら奥地に入っていった。用紙がなくなったのでここで終わります。機会があれば続きを書きますので遠慮なく言ってください。 |
岩田厚、ブラジル紀行8日間。第二部。 ピラニアのおりそうな所に着くと、もちろん、針に餌を付ける。ピラニアの餌は、血の滴っている牛肉である。ピラニアは、血の臭いと水面の水しぶきで獲物に食いつく習性を持っているらしい。だから、餌を投げ込む前には、竿の先で水面を叩き水しぶきを上げなければいけない。それから糸を垂らして釣りにはいる。我々は、牛一頭を5分間で骨だけにするというイメージがあるが、今の時期(9月)は、怪我をして血が出ていなければ、襲うことはないらしい。特に8月は、草木など栄養があってほとんど襲わないらしい。水口敏夫岡山支部長は、船の上からずっと足を水に入れてバチャバチャしていた。それなのに噛みつかれなかった。ただし、傷があり出血している足をバタバタしていたら噛みつかれるかもしれないらしい。 何匹かを釣り上げたが、我々は、針をはずすことができない。もし、噛みつかれると相当の痛手を負う。だから、針をはずすときは、現地のプロの人にはずしてもらった。それはもう、ピラニアの歯を見たらはずす気はなくなる。 およそ2時間、ピラニアを十数匹釣って、「ゴム作り」のおじさんの所に行った。ゴムの木を鎌で削り、ゴムの原液をカンに採る。その原液を土で作った型に垂らし、煙で蒸す。垂らしては蒸し。垂らしては蒸し。を繰り返し、ゴムがまんべんなく垂らし穴が無くなったらできあがり。ゴムが冷えて、土で作った型からはずせばできあがり。作ったものは、お土産として持ち帰ることができる。僕の作ったゴム製品は、笠岡道場の高原俊二指導員にお土産としてあげた。興味のある人は、高原指導員に見せてもらってください。 ゴム細工が終わって河に浮かぶ家に帰ったら、先ほど釣り上げたピラニアの唐揚げができていた。味は、カレイの唐揚げと同じような味で思ったより美味しく食べれた。 アマゾン、2日目の夜。わずか2日であるがアマゾンの生活に慣れたような気がした。 窓の外に見える星空を「綺麗だなあ。」って落ち着いて見られるようになった。 次の朝、日の出を見ることになり最後の夜は早く寝た。(寝る以外にすることもないし。) 5時30分目が覚めた。日の出前である。いつもの目覚めの苦痛は全然ない。爽快そのものである。アマゾン3日目。居心地が良くなり、体も順応してきた。 6時ちょうど太陽が昇り始めた。非常に綺麗で何ともいえない。空気が澄んでいるので日本の日の出と眩しさが違って感じた。でも、日の出なんて何年ぶりに見んだ?あれは確か、弐段を取るために総本部の夏期合宿に参加した1990年。大山倍達総裁がご健在で、朝、3時30分起床の時、千葉の海岸で見た。この時は、日の出の2時間前に起きて海岸で稽古だもん。稽古の後は、砂浜に座って黙想。ちょうどその頃太陽が昇った。その時は、ちょっと眠たかったな。 話を元に戻そう。日の出を見た後ジャングルを散歩して朝食を取った。「うーーーん。 うまい。」2日間、アマゾンの味付けは、僕には会わないと思っていたけど、今日の朝飯はとても美味しく頂いた。アマゾン最後の食事と言うこともあるのか、美味しかった。 食事の後は、帰り支度をして10時船に乗り込んだ。マナウスに向けて船はアマゾンを出た。帰路、ゴムおじさんの家の前を通った。おじさんと奥さん、そして、子供たちが大きく手を振ってくれた。もちろん、我々も大きく手を振った。「此の地、再度訪れることはあるのか?」 |
| 第3部。サンパウロにはいる。 8月30日(金)、マナウスで郷土料理を食べ午後2時、サンパウロに向けて飛行機はマナウスをあとにした。飛行時間は、3時間30分。またもや苦しい狭い座席での飛行機の旅。日本国内で飛行機に3時間30分乗るとどこまで飛ぶか。沖縄から北海道までは飛んでいくだろうな。それを考えると南米の広さが想像できると思うが、今、貴方が想像した以上の広さです。 サンパウロ空港からホテルに向かう途中、極真のブラジル本部道場があった。ワールドカラテで見るものと同じであった。当たり前であるがとても感動した。 ホテルに入ったのは、9時を回っていた。水口支部長と自分は、とりあえず腹に何かを入れることにした。ホテルは、東洋人街の中心にあり、「寿司屋」「すき焼きや」「中華料理」と日本いるかのような通りであった。2人は、「ラーメンと餃子」を食べることし、「あかしや」に入った。 「いらっしゃい!」とてもいい響きであった。まずは、ビールで乾杯。 餃子の焼ける臭いがとても懐かしい。餃子は、とても大きく一口では食べられない大きさであった。が、なぜか、そのでかい餃子を口の中に詰め込んだ。もぐもぐもぐ。4・5回噛んでビールで胃に流し込んだ。「UMAI!」もう最高。餃子を4個食べたところにラーメンが来た。 温かい。麺を箸にとって食べようとしたところに、明日のワールドカップに出場する日本選手団が入ってきた。田村コーチを筆頭に7人の選手団。「オスッ。」「オスッ。」と挨拶を交じわす。「ズルズルズルーーーーッ。」オスの挨拶を言うと同時に一口目を口に入れた。「ウーーーーン、旨い。」一口目を味わったあと水口支部長と「明日の試合、頑張ってください。」と、二口目の挨拶をした。田村コーチと選手団7人に我々2人でラーメンと餃子をおごってあげた。 |
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